東京地方裁判所 昭和30年(合わ)273号 判決 1955年12月27日
主文
被告人を懲役四年に処する。
理由
一、事実。
被告人は、長野県更級郡上山田町大字上山田二千二百六十六番地の自宅で、業界雑誌発刊の準備をしていたものであるが、その資金に窮した結果、
(一)昭和三十年七月初頃トニー谷こと大谷正太郎の子供を誘拐して大谷より身代金を獲得しようと決意し、その住所等を調査した上同年七月十四日上京し、翌十五日午後一時頃東京都大田区新井宿六丁目六百七十八番地の大田区新井第四小学校正門附近で、同校から同区新井宿四丁目千六番地の両親(父トニー・谷こと大谷正太郎、母大谷たか子)のもとへ帰る途中であつた同校一年生大谷正美(昭和二十三年八月二十五日生)を呼び止めて、同人に対し、予め用意して来た同人一家の雑誌掲載写真の切抜を示しながら、「自分は此の写真を撮つた雑誌社のものだが、今度は君一人の写真を撮つてあげるから一緒に行こう」と嘘や甘いことを云つて、年少で思慮の十分でない同人をして、即座に被告人と同行することを承諾させ、之を同所から連れ去つて、もつて同人をその両親の保護のもとから離して自己の支配下に入れた上、之を伴つて同月十六日朝前記被告人の自宅に着き、以来同月二十一日夜被告人が逮捕される迄の間、引続き同家に同人を起居させて、もつて営利の目的で誘拐し、
(二)右誘拐の間において、同年同月十五日午後三時頃東京都武蔵野吉祥寺井の頭郵便局で、前記大谷正美の父大谷正太郎に宛てて(正美君を暫時拝借、悪人の仁義として生命は保障するから安心せられ度。但茲数日中に金二百万円の身代金と交換の条件なり。当局等と連絡は貴方に不利な結果を及ぼすものと自覚あり度し。当方よりの連絡を待たれ度。」と書いた手紙(昭和三十年証第一三八八号の一)を、同局に速達で郵送方を依頼して提出し、情を知らない係員をして之を翌一六日朝前記大谷正太郎方に送達させ、之を見た同人をして、二百万円を提供しなければ、右正美を引渡して貰えないばかりか、正美にどんな危害を加えられるかも知れないと畏怖させておき、更らに同月二十一日に至り、朝から数回に亘つて東京都内の公衆電話で、右大谷正太郎方に電話し、同人に対し、「二百万円を自分の指定する場所に持参して貰い度い」と要求し、右要求に併せて、「同日中に右金員授受の解決がつかなければ、正美君の身にどんなことが起るか判らない」という意味のことばを告げ、もつて同人を前同様に畏怖させて金員を喝取しようとしたが、同日午後十時二十分頃同都渋谷区国鉄渋谷駅附近で警視庁係官に逮捕されたためその目的を遂げなかつた。
ものである。
二、証拠
右の事実は、
一、大谷正美、大谷正太郎、大谷たか子の各検察官に対する供述調書
一、大谷正美、大谷正太郎(二通)、大谷たか子、片波見辰男、宮坂梅子、石原君子、藤沢正徳、橋本静江の各司法警察員に対する供述調書
一、司法警察員石井慶治外一名の昭和三十年七月二十三日附捜査報告書
一、司法警察員石井正作外一名の昭和三十年七月二十六日附捜査報告書(添附の被告人作成に係る図面四葉を含む)
一、司法警察員作成の実況見分調書二通
一、警視庁技術吏員町田欣一作成の鑑定書
一、押収に係る原靖夫名義大谷正太郎宛の脅迫文一通(昭和三十年証第一三八八号の一)
一、被告人の当公判廷での供述並びに司法警察員及び検察官に対する供述調書七通
を綜合して之を認める。
三、法令の適用
第一 (1)判示(一)の所管につき、検察官は刑法第二百二十五条の営利誘拐罪に該当すると主張するに対し、弁護人は同法第二百二十四条の未成年者誘拐罪に該当するに過ぎないと主張するので、この点に対する判断。
刑法第二百二十五条に所謂「営利の目的」とは自己又は第三者のために財産上の利益を得ることを行為の動機としている場合をいう意味であつて、その利益を取得する手段、方法については何等の制限はないと解する。蓋し、刑法が「営利の目的」を加重拐取罪の要素として特に定めた所以は、略取誘拐(以下単に誘拐と略記する)が営利の動機で行われる場合には、犯人は被誘拐者を利益追求の単なる手段、道具とする結果、その支配の仕方において、右の意図のない場合に比し、遥かに、被誘拐者の自由に対する侵害が強大になり、その生活条件を悪化せしめる危険性を帯びること、誘拐が行われるに当りては、その動機となるものは種々雑多であるが、営利の動機は他の動機よりも犯人を犯行にふみきらせる力が極めて大であつて、営利の動機には犯行の実現を高め、之を次々に誘発する力が包蔵されているので、斯る動機に基づく犯行は他の場合よりも之を禁遏するの要があること及び人をその真意に反して誘拐することが道義上非難に値することは論を待たないが、営利の動機に出でると共は更に之が加重され、行為者の反社会性も強いとみられること等に着眼し、之によつて行為の違法性乃至道義的非難性が増大することを認めたためと解され、これ等の誘拐が営利の動機で行われる場合、その違法性等が増大するということは、荀くも営利の動機に出でる以上すべて同様でその利益を取得する手段方法の如何によつて差異を来すものではないと考えられるからである。
この点に、関して刑法第二百二十五条が「営利の目的」と併べて規定している「猥褻または結婚の目的」については被誘拐者を猥褻行為または結婚の対象とすることが行為の動機となる場合に限ると解される点より観察して、「営利の目的」についても右と同様被誘拐者の身体を直接使用して利益を得ようとする場合に限るべきであるとする見解もあるが、「猥褻または結婚の目的」を以て為される誘拐は被誘拐者の性的自由を侵害する虞のある誘拐という点にその違法性等を増大させる情状として取り上げられたのとはその立法の理由において異つて居り、この差異は単に法益侵害の手段、方法の相違に止まらず、性生活に関する法益をも加味している点において質的な相違を来すものと云うことができる。この観点よりすれば、現行刑法が「営利の目的」と「猥褻または結婚の目的」とを同一条項に併記したその仕方には多大の疑問が存する。さればこそ改正刑法仮案は之を別項に定めて居る。斯様に両者はその立法された理由が異つて居る以上、之を統一的に解釈しなければならないという根拠はなく、それぞれその立法の理由に従つて之に適合するようにその解釈を為すべきものである。而して「営利の目的」が加重拐取罪の要素として立法された理由として先に説明した行為の違法性等の増大ということは、これまた既に述べたとおり、その動機が営利に存することから一様に参出して来ることであつて、その利益を取得する手段が被誘拐者の身体を直接利用しようとする場合であるとそうでない場合であるとによつて差異を来すものではない。殊にその実害に至つては、個々の事実によつてそれぞれ異るのは勿論であるが、後者の場合よりも大であることもあり得る。然らば、「営利の目的」における営利を被誘拐者の身体を直接利用して遂げようとする場合に限ることは到底之が立法された精神に副う所以ではないから、右の見解には賛成できない。
而して被誘拐者を人質にとつて身代金を要求することは、被誘拐者を誘拐している状態を利用し、この状態を解く代償としてその父母その他の保護者より金員を交付させようとするものであつて、その行為の動機として財産上の利益を収得しようとしているものであることは言を俟たないから、判示(一)の所為は刑法第二百二十五条の営利誘拐罪に当るものと言わねばならない。
(2)営利誘拐罪と恐喝罪との関係についての判断。
営利誘拐罪における営利の手段について何等の制限のないことは前記説明のとおりであつて、その手段は必ずしも刑責に触れるものとは限らないし、刑責に触れる場合でも恐喝の方法に依るに非ざれば之が目的を遂げられぬというものでもない。また営利誘拐罪は「営利の目的」を以て他人を誘拐すれば直ちに成立し、現実に「営利の目的」を達することは要件としていない。
然らば、営利誘拐罪は恐喝罪等の財産罪をその構成要件に含んでいないのであるから、その利益を取得するにつき為した行為がたまたま恐喝罪等の財産罪に触れるときは、営利誘拐罪と恐喝罪等の財産罪とが別々に成立するものと解するのが相当である。
而してその間には通常手段、結果たるの関係は存在しないのであるから、両罪は併合罪の関係に立つものと解する。
第二 よつて進んで被告人の判示所為に対する法令の適用を明らかにすると、被告人の判示所為中(一)は刑法第二百二十五条に、(二)は同法第二百五十条、第二百四十九条第一項に当り、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により重い(一)の罪の刑に併合罪の加重を為した刑期範囲内で処断すべきものである。
そこで以下前記各証拠及び本件の審理に当つて取調べたその余の証拠によつて、本件の情状について考えてみる。
(1)まづ本件犯行のもつ性格、影響等について考察してみると、本件は前記認定の如く満六年と十一ヶ月に過ぎない少年を誘拐していることである。斯る人格形成の途上にある者は両親等の保護者の手許で愛情のある補導によつてこそはじめて心身ともに健やかに育成され、その人格を完成できるのであるから斯る者を而も自己の営利遂行の手段とするために自己の支配に移すことは悪質と言わねばならない。而して本件の犯行により両親である大谷正太郎夫妻その他近親者が精神上甚大な苦痛を喫したことは云うまでもないことであると同時に、本件が通学の途次行われたため児童をもつ世の親たちが異常な衝撃を受けたことも明らかである。
(2)本件の犯行は、親が子に対してもつている愛情を利用し、親に対し焦燥不安の日を送らせる傍ら、金銭を要求するものであつて、その手段が残酷であること論ずるまでもないことである。
(3)上記のような影響をもち、手段としても残酷な犯行が本件より先き立つこと二年八ヶ月前の昭和二十七年十一月十九日屋代簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年六月、但し四年間執行猶予の判決の言渡を受けその執行猶予中の身である被告人によつて敢行されていることは看過できない事実である。
これらの情状は被告人のため不利益な情状であると云わねばならない。
しかし飜つて
(4)被誘拐者大谷正美に対する誘拐中被告人が為した処遇を観ると、被告人は大谷を昭和三十年七月十六日長野県更級郡上山田町の自宅に連れ行き、妻には青山師範学校時代の友人の子で夏休みになるので一週間位避暑のため預つて来たと述べ、その後逮捕に至るまで、被告人の言を信じていた妻子は勿論のこと、被告人もまたその内心はとも角表面では大谷を恰も友人の子のように取扱つて寝食をともにし、その間小学校に在学中で大谷と同年配の自己の子と遊ばせたり、千曲川に魚釣りや水泳に連れて行つたり、上山田または上田市効外の温泉に連れて行つたりしていて、大谷を虐待したと認められる事迹は全然見当らない。
(5)右誘拐が大谷正美の性格等に及ぼした影響等について観ると、本件は幸い七日間の誘拐に終り、大谷は直ちに両親の許に復帰することができ、性格その他には少年が誘拐された場合蒙るものとして憂慮されているような悪影響は殆んど見受けられないようである。
(6)犯行後現在における被告人の心境を観ると、被告人は一旦前記認定の如き悪質の犯行を犯したのであるが、改悛の情は十分認められる。
被告人が大谷正美を中誘拐同人を虐待していないこと仮令前記認定の如くであつてもその許すべからざることは言を俟たないのであるが、これ等の情状は被告人に対する量刑に当りては被告人のため利益な情状として観るのが相当と考える。
裁判所は右に述べたところの外、審理にあらわれた一切の事情を勘案して、被告人に対しては懲役四年に処するのを相当と認め、ここに被告人を懲役四年に処することとする。(なお訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用し被告人には之を負担させないこととする。)
四、公判出席検察官検事 堀口春蔵
(裁判長裁判官 八島三郎 裁判官 西村宏一 田中永司)